クリシュナ・ジャンマスタミ(生誕祭)2019、24時間のバンスリ演奏

indian music

8月23日にクリシュナ・ジャンマスタミ(生誕祭)がありました。

私たちブリンダヴァン・グルクルでは、グルジ(師)と生徒で24時間バンスリを演奏して、クリシュナの誕生日を祝います。

私にとっては、ムンバイに来て3年目のジャンマスタミでした。

35年間毎年演奏し続けるグルジ

クリシュナの生誕祭は、私たちの所属するグルクルにとって1年を通して最も大切なイベントです。準備は1カ月前くらいから始まります。

グルクルの敷地内に小屋を建てて、参拝客が休む場所と、食事を提供するスペースを作ります。数週間前からグルジのお客さんが増えて、演奏する音楽家や、協力者さんたちが挨拶に訪れます。

普段はグルクルに来れない遠方の古い生徒たちも、必ず訪れます。

そんなジャンマスタミを、グルジは毎年欠かさずに35年間続けているそうです。グルクルが完成して、10年そこそこなので、それよりもずっと前から、生徒が少ない時も自宅で行っていたのでしょう。

きっと少ない人数で24時間演奏し続けるのは本当に過酷。

毎年この時期になると必ず行われるジャンマスタミは、私たちにとって、クリシュナ神への感謝を伝える本当に大切な1日です。

深夜から始まるお祝い。長くて短い1日

クリシュナ神の誕生日は、8月の満月から8日目の日です。

今年は23日でした。

私は前日22日の深夜12時から断食をしていました。

断食と言っても様々な種類があります。

私がグルジに断食を宣言した時、何も食べない断食は許されず、水とココナッツウォーター、果物の断食になりました。前日に果物を買い貯めたので、とても簡単な断食でしたが、余分なものを食べないことでスッキリした気分になりました。

余談ですが、買ってきたココナッツの中身がとても詰まっていて、すっごく身までたっぷり食べられました。楽しい断食です。

誕生日の日の昼間からお祝いをする人もいますが、私たちは夜からお祝いを始めます。

クリシュナは、ジャンマスタミの日の深夜に生まれたと言われています。

グルクルでは、10時ころから声楽の演奏が始まります。

声楽のクラスを受けている生徒の演奏と、クリシュナの生誕を祝いに来た現役の有名アーティストが毎年歌います。

プージャは11時半から

11時半頃から、クリシュナを囲んでプージャ(儀式)が始まります。

先年までは火を囲んでのプージャが行われていましたが、今年は簡略のプージャでした。

グルクルのプージャを仕切るのは、私とも長い付き合いで仲良くして頂いているパンディットジ(司祭)。

パンディットジとは、デリーのグルジの家で学んでいた時からのお付き合いです。一緒にハリドワールに言ったり、手相を見て頂いたり、グルクルに来る前から仲良くして頂いています。

ヒンディー語しか話せないので、私とはいつも身振り手振りですが、とても明るくて素敵なパンディットジです。

とても通る声の主で、堅苦しいヒンドゥー教の儀式も、パンディットジのマントラ(お経)を聞いて、たまに一緒に唱えると楽しいです。

グルジの演奏で始まる24時間

パンディットジのプージャが終わると、グルジがクリシュナの前に来て、アーラープの演奏を始めます。他の生徒たちは、プラサード(お供物)のキール(甘いライス粥)を参拝者に配ったりで大忙しです。

途中から、一息ついたシニアの生徒たちが一人づつグルジを囲んで演奏を始めます。

私も、毎年グルジの真後ろの位置を確保して、サポートの演奏をスタートします。

そこからは、翌日の24時が来るまでノンストップです。

グルジは2時間程度演奏し退室し、ラケーシュとルパックは4時頃まで演奏しました。

その後は、ビベックが登場し、1時的に他のシニアの生徒が休憩に行ったため、結局ビベックが10時過ぎまで演奏。

私もずっとビベックと演奏していましたが、途中、グルジの朝食時などには抜けています。

平気な顔をして演奏していたビベックですが、さすがに6時間の演奏後には立ち上がれなくなっていました。

なかなか生徒間では注目されにくいビベックですが、一人で6時間他の生徒をまとめて演奏する実力は本当にすごいと思います。

(私は仲良くないので、終わった後に立てなくなったビベックを馬鹿にしておきました。)

毎年ジャンマスタミの時しかグルクルに来れない生徒などは、どうしてもこの日にコンテストの様に技術の競い合いになってしまいます。

しかし今年は、一人で暴走しそうな生徒が出てくると、空気を察したラケーシュが自ら演奏に加わって、輪を乱すような演奏を止めてくれました。

私は、出来るだけ人気のない時間帯にクリシュナの前で演奏を済ませて、後半は演奏していない外国人生徒を中心にマイク席を勧める様にしました。

途中でラケーシュの長男にも「なんで演奏しないの?」と不思議がられましたが、昨年までは自分が演奏したいばかりだったので、今年は上手くバランスが取れてちょっと誇らしかったです。

途中でこそっと抜けて、グルジとクリシュナの誕生日ケーキを楽しんだり。

最高に幸せな時間。

後半4時間は怒涛のフィナーレ

グルジが再び演奏に加わったのは午後8時頃。

最後は必ずグルジが締めるのですが、こんなに早く始めると思っていなくて驚きました。

ジャンマスタミの前後のグルジは本当に多忙なので、ちょっと心配。

(グルジは翌日もオディッサ州に飛んで、2日目のジャンマスタミ。)

他の生徒たちと一緒にラーガ・ヤマンを演奏しました。

私もいつものグルジの後ろに座ったのですが、グルジは忘れずに私にもソロを演奏するように指示します。

それまで指揮を取っていたラケーシュは私の後ろのソファーでその光景を眺めていました。

目の前のグルジと一緒にクリシュナのための演奏をし、真後ろのラケーシュが幸せそうに見ている。

その空間が幸せ過ぎて、ヤマンが始まってすぐから涙が溢れてきてしまいました。

幸い、他の生徒は全員グルジの視界に入る場所に座っていたので、私は目立たない場所にいたのですが。

最後の4時間はうれし泣きでずっとボロボロでした。

ヤマンの後はミシュラ・ピルーでした。

ピルーは、グルジの他にはほとんどラケーシュとサミンの2人で演奏していました。

私たちは、バンデッシュを一緒に吹くくらいでしたが、それも途中から放棄してしまうくらい格別に美しいピルーでした。

グルジと、グルジを尊敬して穴が開くくらい研究した生徒にしか吹けない演奏でした。

こんな美しい世界が、世界には存在している。

私は、ムンバイでの生活で何があったとしても、この瞬間に参加できただけで本当に幸せ、と噛みしめました。

3年目ですが、毎年ジャンマスタミの喜びが増してきて、この瞬間の為だけに生きていると錯覚するくらい感動します。

すっかり溶け込めたグルクルの仲間

仲間というのはおこがましい先輩たちばかりですが、すっかり打ち解けた兄弟子たちが集まる日。

グルクルでクラスを指導して下さっているルッパク、サントーシュ、ラケーシュ、グルジの周りに集まる兄弟子たちは、私たちにとって先生。

最近は、自分よりも後に入ってきた生徒も増えました。

また、数年に一度訪ねてくる外国の生徒たち。

まだまだ、知らない生徒の方が多いのですが、沢山の出会いがあり、一緒にクラスを受けたことのない古い生徒さんたちとも、かなり打ち解けてきています。

生徒間だけでなく、タブラやパカワジ奏者とも仲良くなります。

今年もこの場所にいれて、グルジと、周りに集まる沢山の生徒との時間を共有できることに心から感謝しています。

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