アンナプルナ・デヴィ:インド音楽の陰で生きた女性4【Notes from behind a locked door ~閉ざされた扉の奥の記録~】

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こちらの記事の続きです。

Notes from behind a locked door ~閉ざされた扉の奥の記録~ 4

ラヴィ・シャンカールと妻との間には音楽の方向性以上の問題もあった。

彼には不倫の噂が絶えなかった。結婚から2年がたった時、兄弟の義理の妹Kamalaとの関係が問題になった。シャンカールとアンナプルナは彼の浮気でムンバイに移ったばかりの頃だった。激怒したアンナプルナは息子と共にマイハールに帰った。

シャンカールは自伝に次のように綴っている。

「自分の人生で、これほど人に干渉されたのは初めてだった。アンナプルナは、誰との間にも浮気を疑った。Kamalaとの浮気を疑ったのは、彼女にとって最初じゃなかった。ただ、彼女とだけは事実だった。私は合理的な思考者ではない。結果的に恋愛関係はほつれた。彼女はとても素晴らしかった!しかし、彼女の気性は手に負えなかった。まるで父親のように。その時期、私も病気だったのかもしれない。お互いに気を荒げていたんだ。」

アンナプルナはムンバイの夫の元に戻ったが、その後の数年はとても波乱だった。

「1956年は夫婦関係にとって問題ばかりの年であったが、1月に重大な決裂があった。」とシャンカールは書いている。

2人は1962年に離婚した。アンナプルナは一握りの生徒とムンバイの部屋に住むようになった。「ババは、例え離婚したとしても経済的に独立できるように音楽を与えてくれた。」とアンナプルナは書いていた。

パンディットジといくつかの演奏を行ったが、それ以外ではアンナプルナはは公然で演奏しなかったし、録音も行わなかった。YouTubeには音質の悪いいくつかの録音だけがる。それらは、コレクターが持っていた貴重な録音だ。

「私は公演が好きでなかった。私にとっての音楽は、神への祈りだった。録音も好きではない。」と彼女は言った。

彼女にとって父親がそうであったように、彼女は現在グル(師)として認識されている。パンディット.ハリプラサッド・チョウラシアや、ニキール・ベナルジーなどの有名な弟子がいる。

「私は自分の音楽を奪われたなんて思った事はない。ババから教わった音楽を弟子たちに伝える時、とても自由を感じるから。」

彼女は小規模で、シタール、フルート、サロード、声楽の生徒に指導しスルバハールを教えない。その楽器は製造もされていない。

——原文はこちらで読めます——–

http://archive.indianexpress.com/news/notes-from-behind-a-locked-door/619877/

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