イジメの経験とトラウマから助けてくれた禅・ヨガの思考

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今さらわざわざ話すことではないと思い今までヨガのコラムやインタビューなどではいっさい触れてきませんでしたが、子供の時の私はなかなか立派な(?)いじめられっ子でした。

いつからいじめられていたのか?と考えても確かな記憶がありません。

小学校の低学年時から教室の中で友達と仲良くしている記憶が少なく、あだ名はアサハラショウコウや、ばい菌。私が誰かに触れると、ばい菌が移ったと他の人になすりつけ、鬼ごっこのようにみんなが逃げ回ることが日常でした。

さすがに、両親が買ってくれたランドセルをカッターで切られた時には傷つき、今思い出してみても、両親に対して申し訳なかったと悲しくなりました。

私のいじめられっ子体質は才能なのか?学生時代はいじめと共に生き、社会人になった後にも度々先輩の標的になることがありました。

(さすがに社会に出てからのいじめは、周りが盛大に味方してくれる場合がほとんどなので傷つくことはありませんでしたが。)

生粋のいじめられっ子だと自負する私が、どのように耐えてトラウマを克服してきたのか、もしかしたら、誰の参考にもならないかもしれませんが書いてみようと思います。

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現実逃避が得意な子供だった

小学生時代の自分は毎日辛くて泣いてばかりだった気がします。

もちろん仲良くしてくれる友達もいて、その存在には今でも心から感謝しています。

学校生活の中で一番辛いのは、誰とも話せない休み時間です。私は、沢山の本を図書館から借りてきて、本を読んでいる格好をして友達のいない恥ずかしさを隠していました。

本の世界は心理的にいつも私の隠れ蓑でした。正直、どんな本を読んでいたのかはあまり覚えていませんが、その時々のマイブームで小説や漫画の世界が現実のように没頭していた気がします。

今では思い出すのも恥ずかしいですが、下手な絵を書くことも好きでした。空想の人物を書き妄想の世界に没頭することが好きで、布団の中で夢や空想に浸るのが至福の時間でした。

お陰で空想や妄想は特技になり、大人になっても趣味の妄想は続き、自由に行動できる年齢になってからは妄想を現実にするのが得意になりました。お陰で信じられないような奇跡を沢山経験させて頂きました。

イジメから見出した「空」の発想

記憶がある中では、中学校2年生の時にはすでに仏教的な「空」の境地に達していた気がします(笑)

こんなことを言うと完全に頭がおかしい人みたいで恥ずかしいのですが。(だからずっと言わなかった...)

当時は、それが「空」だとは思っておらず、ヒンドゥー教的な考えなのだと思っていました。

中学生時代、転校をしても相変わらずいじめられっ子の私ですが、その頃には自分の心を守る術をすでに見つけていました。

なぜか、毎日私の手などに水性マジックで真っ黒になるまで落書きをする子が数人いたのですが(中学生になってまで、何が楽しいのだろう)、私はものすごく冷静でいっさい怒ったり泣いたりしませんでした。

「今、いじめられている事に意識を向けると悲しくなるかもしれない。しかし、そこに意識を向けなければ、それは無いのと同じことだ。」

そのように考えて、黙って容認し、終わったら淡々と手を洗いました。自分は大丈夫でも、それを見たら親は悲しむだろうと思い。

いじめている子たちは、私が反応しないことが気に入らないようで

「こんなことされて悔しくないの?」

と何度も聞いてきました。しかし、冷静になるほど、同じ教室にいる多くのクラスメイトたちはいじめている側を幼稚だと考え、直接本人には注意しなくても裏で私に声をかけてくれる子もいました。そういった優しさをくれた子たちがいたことはとても嬉しく、私がいじめられている側なのに、なぜか自分が勝ったような気になる時もありました。

勝ち負けを考えている時点で当時の私も幼稚だなと思いますが...他人を卑下しないと自分の承認欲求を満たせないいじめっ子よりも、冷静に自分を客観視できている自分の方が優れているような気がしていました。

当時から私は図書館にあった本でインドの宗教に興味があったので、すでに仏教の「空」について学んでいたのか、自分で見つけて実践していたのか、もしくはヨガやヒンドゥー教の教えからヒントを得て見つけたのかは全く覚えていないのですが、上手く自分を守っていたなと思います。

大人になってから学問として学んだ禅やヨガの瞑想的な感覚を、中学生時代にすでに見つけて身に着けていたと思うと...いじめられても仕方ない変な子供だったのだと思います(笑)

つらい記憶も必ず克服できる

不幸自慢は本当に気分が悪いので、思い出話はここまでにしたいのですが、

(もうちょっと書こうと思っていましたが、自分の変人具合に自己嫌悪に陥りそうでギブアップ。)

結果的に現在ものすごく幸せに生きています。

いわゆる思春期、青春時代にあまり楽しい思い出がなかったので、過去の自分が可哀そうだと思うことがたまにあります。本当によく頑張りましたし、きっとそれ以上に両親には沢山心配をかけました。

そんな私も、大人になってから想像できないくらいドキドキすることが沢山あり、次々と夢のような体験をして、思い描いていたような生活を送っています。

長年願っても現在まで叶っていない夢はいくつも残っていますが、確実に夢を軽く超えるような幸運を沢山与えて頂きました。

学生時代にいじめられていた経験で、「人に変な人と思われていないか」「周りから浮いていないか」と不安になるようなトラウマもありましたが、どれだけ普通の人らしく振舞っていても変わった人だと見られてしまうことにも慣れてきました。というか、諦めました。

インドで生活していることが大きな変化のきっかけだと思います。インドでは常に私は外国人であり、常識が分からない状態で生活しています。また、アメリカやヨーロッパの人たちと話していても、彼らが当たり前のように行っている気づかいやマナーに気が付けないことがあり、逆に私が気づかいをしていても気づいてもらえないことも当たり前。

そんな中で、自分は自分らしく人間関係を作る。分からない時には聞く。それでも理解できずに失敗したら謝る、ということを日々繰り返しています。

上手く周りに馴染めなかったら環境を変えてみるというのも一つの手だと思います。一人で海外に出た時の孤独感は想像を絶するものである時もありますが、自分が居心地のいい場所を見つけると、その場所にいる人とは波長が合い、自然といい関係を築くことができます

世界中全員と仲良くなれなくてもいい

ヨガに出会えたのも幸運でした。

学生時代には理解してくれる人の方が少ないと思いながらも、出来るだけ沢山の人と仲良くなりたいと思っていました。なぜか、友達の数が多ければ多いほど自分が認められたような錯覚をしていたようで。承認欲求の塊です。

そのような人付き合いの仕方もヨガと出会ってから変わりました。同じような趣味を持っている人は価値観が近い人が多く、一緒にいて楽なのだと徐々に分かってきました。

今でも八方美人の癖が出て失敗することもありますが(笑)

インドでヨガを通して出会った人たちとは、どれだけ個性や価値観が違っても、「人と自分の違いを受け入れる」という共通認識を持っている友達が多く、「違っても大丈夫」という安心感で気持ちの良い人間関係を築けています。

もちろん、自分と気が合わない人がいることも受け入れることができるようになりました。

仕事で出会う人の中には、プライベートでは絶対に関わらないような価値観の人も沢山います。しかし、考え方が違うからと敵対するわけではなく、お互いが同じ仕事の成功を願っているのであれば、冷静に最善の策を見つけられるようにと率直な意見を言うようにしています。

周りがどのように思っているかは分かりませんが、少なくても表面化するような揉め事はないので、上手くやっているのだろうと自分では思っています。

年齢的にも、周りの人が遠慮なく文句を言いにくい立場になってきていると思うので、自分が知らないところで相手を困らせていないかは気を付けるようにしていますが...どうでしょうね?(笑)

少なくても本人は快適な職場の人間関係が築けていると思っているので、このコラムのテーマである人間関係のトラウマの克服としては成功していると思います。

永遠と続く苦しみはない

今まで自分のいじめの経験について語らなかったのは、克服の方法が他人には全くアドバイスにならない特殊なものだからと思っていたからです。

人間関係で問題があっても、「目の前の問題も”空”である」と思って解決する人は、普通はいない気がします。

しかし、ここから学んだことは私にとってはとても大きいことです。

例えば、どれだけ仕事のトラブルが続いて忙しくて体調が悪く「もう死ぬ―」と思っても、終わった瞬間に好きなことに気持ちを切り替えることができるようになりました。

忙しいと交感神経が過剰にアクティブになってしまうため、パソコンを閉じても心拍数が下がらず、切迫感が収まらない時もあります。そういう時は瞑想をしても、簡単には雑念が消えません。しかし、それも受け入れて、さっさと手放します。

感情や苦痛にフタをすると、それが心の中で腐っていつか爆発してしまうので、それは”空”の状態とは違います。あることは認めたうえで、そこに意識を繋げない。言葉にすると難しいですね。

ヨガ哲学をお伝えしていても、ヴェーダンタのマーヤー(幻)のような概念はとても説明が難しいです。「すべての問題も幻だ」と一掃してしまうのは、とても無情で冷たい解決法に聞こえてしまい、自分で説明していても「伝わらないかも」と思ってしまうことがあります。

だけど、感覚的につかめるようになると、幻影であるこの世界を受け入れることがとても心地よく感じることがあります。

結局、全ては本人の経験でしか学べないものなのかもしれません。

私にはヨガや仏教といったインド的なものの見方で救われた経験があり、これからもインドに助けられるのだと思います。

間違えなく言えることは、永遠と続く苦しみはないということです。人生の中で、頑張らなくちゃいけない時、ご褒美がもらえる時、苦しい時と色々ありますが、全ては無常。今苦しいのであれば、その苦しみはいつまで続くものなのか、どうしたら消えるのか、客観的に向き合ってみると、思っていたよりも解決できるものかもしれません。

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