アンナプルナ・デヴィ:インド音楽の陰で生きた女性3【Notes from behind a locked door~閉ざされた扉の奥の記録~】

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こちらの記事の続きです。

アンナプルナ・デヴィはシタールを学び始めたのだが、父親は彼女に通常と違う道を与えた。それは、有名な弟子であるラヴィ・シャンカールとは完全に対極のものだった。父親は、スルバハールを演奏する時、瞑想的に、思いにふけるように奏でるように指導した。「父親が私に向かって言いました。“お前は音楽を愛しているから、私のグル(師)からの恩恵を受け継ぐことが出来るだろう。だけど、多くの音楽愛好家に好かれやすいシタールは諦めなさい。スルバハールは、もっと深い音楽を愛する聴衆に愛される。さあ、おまえの決心はどうだ?”私は茫然としました。」そのように書かれていた。

アンナプルナは当然同意した。

「現在私が楽器を奏でる時、身を任せて、思いやりと平穏さを感じます。」と彼女は綴っています。

たった4年の修業の後、アンナプルナ・デヴィは演奏家として華咲いた。その頃に、舞踊家であるUday Shankarによって弟ラヴィとアンナプルナの結婚が決まった。彼女はまだ15歳だった。シャンカールは21歳だった。しかしカーンは2人の愛する弟子の結婚に同意した。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の結婚は、当時ではとても稀なものであった。

「ババはとても信仰心の厚い人であったけれど、宗派に囚われない人だった。彼の信仰は、Sharda Maやnamazを1日5回唱えるものだった。彼は私の知る最も俗世的な人った。私は結婚後アンナプルナになったわけではない。私はChaiti Purnima(満月の日)に生まれ、マイハールのマハラジャ(王)であるBrijnath Singhが私をアンナプルナと名付けた。」

彼女にはRoshanaraというイスラム教徒としての名前もある。

1942年に結婚してすぐに、シャンカールとアンナプルナの間に息子が誕生した。しかし、2人の関係性は良くなかった。彼女は厳格な父親に言われた通り、コンサートやレコーディングで聴衆に聞かせることへは消極的だった。彼女の現存している録音Raag Maand Khamajは「盗聴だった」と彼女は言った。

シャンカールは人前でモダンな演奏を披露することを楽しんだ。より聴衆にアプローチできるように、演奏のスタイルを変えていった。そして、国際的な演奏家となった。

アンナプルナは手紙の中で結婚生活の問題に関しては触れていないが、’Panditji’または彼女の娘たちと合っていないと書いている。Anoushka Shankar(アノウシュカ・シャンカール) や Norah Jones(ノラ・ジョーンズ)に関しての質問には「ノーコメント」と書かれている。

しかし他の質問に対しての回答で、2人(シャンカールと)の違いについて触れている。

「情緒や美的表現は、演奏家の個性によってなされる。内向的な人格者はアラープに適しているだろうし、外交的な人はレヤカリが合うだろう。」

——原文はこちらで読めます。——

Notes from behind a locked door - Indian Express
A gifted musician who chose obscurity. A

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