壁に当たったら神様からの試練なのでしょうか?それともカルマ?

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一時、ヨガの練習で怪我をすると「これは与えられた課題だ」「ケガから学ぶ事がある」という言葉を頻繁に聞く時期がありました。

「神様は乗り越えられる課題しか与えない」

という言葉は正しいとも思いますが、そう思わなくても良いのでは?とも思います。

神が乗り越えられる人に試練を与え続けるのならば、出来る人にはずっと試練を与え続けるのでしょうか?それだと、一生懸命乗り越えられる人の方が常に大変な人生を送ってしまうのではないかと思って、考えてみました。

苦しいことが起こった時に、神様のせいにしなくても良い

もしもあなたが、「神様からの課題!」と思うことで、モチベーションが上がって、もっと頑張れる人であれば、それも良いと思います。

だけど、「これは私の成長のための試練」だと思う思考の癖が出来上がっていて、わざわざ大変な方の道を選ぶ人がけっこういるのも事実。辛いな、と思うようになったら思考を変えるための見直しも大切です。

神様はわざわざ苦労を人に押し付けません。

神=宇宙の原理にとっては、あなたが成長を望んでも、楽を選んでも、どちらでも良いことなのです。もしも、あなたが苦労の結果成長を勝ち取るサクセスストーリーを望んでいるのならば、きっとそうなります。別に偉大な成果はいらないから、平和に過ごしたいと願えば、その通りになるでしょう。

試練を乗り越えるストーリーが好きな人には、そのように試練を与えてくれるので、「神からの試練」と考えることも決して間違えではないでしょうが、それは必ず自力で超えなくてはいけないものではないのです。

逃げても良いし、人に頼んでも良い。

あくまでも自分の選択であって、誰かに与えられた義務ではないと自覚した方が楽になるのではないでしょうか。

カルマはあります。原因が何かを考えることは有効

神はある特定の人を特別視したりはしないので、神がわざわざ特定の人に試練を与え続けることはありませんが、カルマによって特定の人ばかりが苦労をすることは起こります。

カルマとは「業」「行為」です。

ある行為(原因)があり、業が生まれ、それによって結果が生まれます。

カルマについては以前別の記事で書きました。

自分に起こったことは、必ず原因となるカルマがあります。

多くの場合は自分自身の思考です。

例を挙げてみます:

父親が暴力的な人でとても嫌だったので、優しい人と結婚したはずだったのに、気が付いたら旦那も暴力を振るうようになっていた。

「やっぱり私は、こういう星の元に生まれてきたのね。運命だから仕方ない。」

たぶん違いますよね。

無意識に暴力性を内側にもった人を選んだものも、見えないふりをしていた。もしくは、自尊心が低く、相手をイライラさせてしまうような態度を無意識にとってしまっていた結果、傲慢な態度を取って良い相手と思われてしまったのかもしれません。

いつもビジネスで大きな障害にぶち当たって、寝る間を惜しんで仕事をし続けている。

「これは与えられた試練!超えられる試練しか与えられない。」

このケースは、それをモチベーションに仕事を出来るのならば、全く問題がありません。

しかし、一生同じスタイルで仕事をしていると、年齢を重ねた時の体調管理が難しくなってきます。

「自分しか出来る人がいない」のも、「同じような課題が続く」のも、自身の思考の癖が原因で、そのような状態になる選択をしている可能性が高いです。

個々でやりやすい方法は違うので、その状態で問題のない場合は変化させる必要はないと思いますが、心身共に健康が保てない状態、生活するのが困難なくらいの悩みであるのである場合は、自身の思考を見直さないと同じような問題を繰り返してしまうでしょう。

原因を内側に求めると解決がしやすい

サーンキャ哲学では、物質的な事柄の原因も、全てプラクリティから生まれた心にあると考えられています。

全ての事柄が自身の心の要因で起こるわけではありません。

自身のカルマと、他者のカルマ、それぞれが複雑に交わって世界は出来上がっています。

しかし、自分の元に起きた事柄に対応する方法は常に自身で選択することが出来ます。

「絶対にこれをしなくてはいけない」という義務感があるからこそ、同じ問題が何度も起きてしまうことが、とても多いです。

「仕事とは忙しいものだ」という思い込みを捨てたら、必要ないけれど規則だからやっていた無駄な作業が減らせるかもしれません。もしくは、「自分しか出来ない」と思い込んでいた仕事も、自分がやらなければ案外他の人でなんとかなってしまうかもしれません。

ヨガのケガはとても分かりやすい例

ヨガをして怪我をしてしまった。

怪我によって学んだという人も本当にいるでしょう。しかし、身体は私たちの魂の宿る大切なお寺です。出来れば傷つけたくない。

もしも怪我をしてしまったら、そうなった要因が自分の心に無いか徹底的に考え直してみましょう。障害はあっても良いものですが、無い方が楽です。

困難を乗り越えることが好きで、何事もないのが退屈な場合は、その道を選ぶのもありです。

あくまでも自分の選択。

原因になった自分の中の要因に気が付くことが出来ると、障害が起こることも減らせるようになります。

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