インド音楽を真剣に学び始めてからは、ゆるーい練習しかしなくなってしまいましたが、リシケシのシャラでアシュタンガヨガを学んでいた頃には、沢山の練習性が怪我をするところを目撃してしまいました。
私が師事していたカルマ先生はとてもスパルタでアーサナの指導を行う先生でしたが、「身体を大切にしなさい」といつも言っていました。
それでも無理をしてしまう生徒が後をたたなかったのですが。
その頃に学んだことを書きたいと思います。
アーサナ(ポーズ)でに執着する練習はヨガではない
アーサナの練習はヨガの大切な部分で、その中から学ぶことはとても大きいです。
身体の使い方以上に、精神的な学びを感じることが出来ます。
私自身、アシュタンガヨガに出会って、アーサナの練習を習慣的に行うようになったことで人生がすごいスピードで変化しました。
しかし、ヨガの練習の目的がアーサナの完成度になってしまうと、一気に向かう方角が変わってしまいます。
ヨガの練習は、練習の結果に囚われないで、練習自体を楽しめるものでなければなりません。
バガヴァッド・ギータには次のように書かれています。
成功または失敗に対する執着を捨てなさい。その平等の境地をヨガと呼ぶ
バガヴァッド・ギータ2章48節
ヨガは自分たちを向上させるための素晴らしいメソッドです。
しかし、目的が美しいポーズになってしまうと、本来得られる恩恵から遠ざかってしまいます。
どうして執着すると上手くいかないのでしょうか
「成功または失敗に対する執着を捨てる」という教えは、とても理にかなったものです。
アーサナで考えた場合、ポーズの完成度を求めすぎてしまった結果、成功が遠くなってしまうことがあります。
- かっこいいポーズが出来るようになりたい
- 出来ないと、自分の努力が足りないと感じてしまう
- 少々痛みがあっても無理をして練習してしまう
- 無理をした結果、身体を痛めて練習自体を休むことになる
頭では分かっていても、なかなか自分での判断が難しく、気が付くと身体を痛めている練習性がとても多いです。
特に、私が練習していたアシュタンガヨガでは、一つのポーズが出来るようになって次のポーズに進むため、自然とポーズへの執着が湧きやすいシステムになっています。
そのシステムの中で、自分の心をコントロールすることはとても大きな心のトレーニングです。
心の声を聞くためのメソッド
とは言え、どこまでチャレンジするのかの判断はとても難しいです。
とても良い先生に練習を見てもらっている場合はストップをかけてもらえるかもしれませんが、自分で判断するのはとても難しいです。
「挑戦すること」と「無理をすること」の違いが難しく、全く苦しくない練習をしていると、「怠けている」と思ってしまうこともありますね。
私の先生は、一つの方法として、呼吸を観察することを指導しています。
頑張っていても、呼吸が出来る状態であれば大丈夫だと教わりました。
だから、アーサナの練習は呼吸優先で行います。
私は、どれだけ苦手なポーズでも、呼吸が出来ないほど無理をしませんでした。苦しい時ほど呼吸を意識したので、練習が出来ないほどに身体を痛めたことがないのだと思います。
逆に、ベンチプレスなど、より大きな筋肉を欲する筋肉トレーニングを行う人は、呼吸を止めて力を入れます。
その結果、筋組織が一時的に破壊されて、次に作られる筋肉はより大きく膨らみます。
ヨガの練習は筋肉を大きくする目的ではないので、呼吸を止めたポーズはしない方が安全です。
身体は魂のお寺。だから大切にしましょう
これは、カマル先生が繰り返し言っていた言葉です。
インドでは輪廻転生が信じられています。
そのため、身体は私たちの魂が一時的に宿るお寺だと言われます。
私たち個々の魂(プルシャ)は神と同意で、尊い存在です。
私たちが気に入った服を長く着るように、ボロボロになった服を着替えるように、
魂も居心地がいい身体には長く滞在します。
だから、何よりも自分の身体を大切にしなければいけません。
そのためにも、アーサナの練習では結果(ポーズの完成度)に執着しない練習を行いましょう。
気持ちの良い呼吸の出来る練習が、本当に自分のためになるヨガの練習です。
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