私のグルジPt. Hariprasad Chaurasiaは、インドでは知らない人がいない、と言っても大袈裟ではない、インド古典音楽の大巨匠です。
グルジの生涯は伝説ばかり。
私はグルジの近くで学ぶようになってからはまだ3年弱なので、伝説をほとんど知りません。
だけど、グルジといる時間はいつも新しい歴史の中心にいるような気持ちになります。
誰もが認める「生きた伝説」「今世のクリシュナ」であるグルジの、生徒に見せてくれた素顔を書き留めておきます。
クンブメーラでの名言、音楽と神さまと共にいる私たち
今年はアルダ・クンブメーラでした。
クンブメーラは、12年に一度の世界で最も大きなお祭りです。
最も大きなマハ・クンブメーラと、その半分アルダ・クンブメーラが6年ごとにあり、インド国内のガンジス川沿いの聖地4箇所で行われます。
今年の2月、イラハバードでクンブメーラがあるので、6年ぶりにイラハバードに行ってきました。
私にとって6年前のクンブメーラはバンスリを始めた大事なイベントでした。(その年は、8000万人もの人が参加したとか。日本の人口まであと少し。)
そして、イラハバードはグルジの出身地でもあります。
本当にクンブメーラは私にとって大事なイベントです。
まさか、グルジとクンブメーラに来れると思っていなかった私。
ガンジス川で沐浴をして、ホテルに帰ってひと段落してから、グルジと2人きりになれた時に、改めてお礼を言いました。
「本当に嬉しかったです。これで、私の悪いカルマ(業)は全部洗われましたね!」
と言うと、かなり怪訝な顔をしたグルジ。
「どうせ君は信じないけどね。私達はいつもバンスリを吹いているだろ。音楽を奏でている時は神様と一体になっているんだ。だから、君はには元々悪いカルマなんて無いんだ。どうせ、信じないだろ?」
どう返事して良いのか分からないけれど、とにかく感動しました。
誰よりも音楽と一緒に生きた人の言葉でした。
音楽を信じなくちゃ。そう思ったのを覚えています。
グルマが亡くなった時の言葉
昨年グルマが亡くなった時、1番悲しかったのはグルジのはずです。
その時私はデリーのグルジの家にいました。
あまりに混乱していて、第一報を誰から聞いたのか記憶がありません。
多分、デリーの先生が教えてくれたのだと思います。
どうして良いのか分からなくて、すぐにグルジに電話をしたのを覚えています。グルマが亡くなって忙しいと分かっていたけど、私が電話をしなくちゃ!となぜか思いました。グルジのことが心配で心配で仕方なかったのです。
グルジは思ったより冷静に話してくれました。
その後、グルマから直接指導を受けていたノルウェーのグルバイにも電話をしました。
彼女にとっての第一報が、ニュースでは良くない。せめてグルジの側にいる私の口から伝えようと思って電話をしたのですが、グルバイが電話口で号泣していたのを覚えています。
ムンバイに帰った時には家族葬が終わっていましたが、グルジが弱音を吐きたい時には側にいなくちゃ、と思い、グルジの元に通いました。
数日後にはグルクルで、グルマへのお別れセレモニーがありました。
生前は家から一歩も表に出なかったグルマへのお別れですが、本当に沢山の方が来ました。
その会で私は、最後まで1人で号泣して、周りに心配をかけてしまいました。
セレモニーから2日後、グルジの部屋でお話をしてる時、
「次回会った時にはグルマにバンスリを聴いていただく約束をしたのに、約束守れなかった。」
と、グルジに悲しみをぶつけてしまいました。
「生前はどれだけ招いても来てくれなかったグルマが、今はグルクルにいてくれるから。ここで練習すればいつでも聴いてくれている。」
と言ってくれました。
「グルクルで音楽を教え続けるとグルマに約束したんだ。だから、もう一生グルクルで音楽を奏で続けなくてはいけなくなった。」
グルマとの約束が果たせなかったことに悲しんでばかりの私とは正反対に、とても冷静にグルマと向き合っていたグルジ。
いつでも最大の感謝
グルジは、誰よりも感謝を忘れない方です。
だからこそ、世界中の人がグルジのことを深く愛しているのだと思います。
私と一緒にいる時の口ぐせ。
「世界中旅してきたけれど、こんなに素晴らしいディナーを食べたことないよ。君といるから叶ったんだよ。」
グルジといると、本当に素晴らしいことが起こります。
その度に、「こんなの始めて!」と感動の言葉を真っ先に口に出すのはグルジ。
誰よりも感謝するから、誰よりも幸運がやって来るんだね。と、感動するのですが、私はまだまだ感謝を忘れてばかりです。
今日はここまで。
近くにいすぎて、グルジの偉大さを忘れてしまいがちな時もありますが、世界一素晴らしい音楽家で、世界一素晴らしいグルジです。
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