アンナプルナ・デヴィ:インド音楽の陰で生きた女性【Notes from behind a locked door~閉ざされた扉の奥の記録~】

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はじめに

私はPt.Hariprasad Chaurasia (パンディット・ハリプラサード・チョウラシア)というインド音楽の巨匠からバンスリ(竹フルート)を習っています。

師ハリプラサード・チョウラシアは、スルバハール奏者であるAnnapurna Devi(アンナプルナ・デヴィ)からインドの古典音楽を学びました。

彼女の直系の生徒であるグルジ(ハリプラサード・チョウラシア)や私は、彼女のことをグルマと呼んでいます。

彼女の生涯はとても悲しい出来事が多く、インド音楽を志している人がグルマの話をするとき、必ずやるせない感情を顔に浮かべてしまいます。

しかし、私自身のグルマとの思い出は、優しさに包まれています。

本当に限られた人しか会わないグルマですが、側にいる人に対しての愛は誰よりも強いのだと感じました。

グルマについて思い出す時、彼女への愛があふれて涙があふれててしまいます。

公の場所には出掛けなかったグルマですが、2010年に手紙でのインタビュに答えています。その記事の著者に許可を頂いて、日本語訳を書きます。

英語訳が不慣れなので、間違えなどあるかもしれませんが、原文でご確認いただけると幸いです。

http://archive.indianexpress.com/news/notes-from-behind-a-locked-door/619877/

Notes from behind a locked door ~閉ざされた扉の奥の記録~

神から与えられた才能に恵まれた音楽家であるのに、無名でいることを選択した人物がいる。その隠遁者は、50年間ムンバイのアパートに身を潜めている。

彼女の名前はアンナプーナ・デヴィ。ラヴィ・シャンカールの最初の妻であり、アノーシュカ・シャンカールとノラ・ジョーンズの継母である。

彼女の体験は非凡なものだ。
彼女はジャーナリストと…、いや、誰とも合おうとしない。そして、電話で誰かと話す事も決して受け入れない。

シャーンシュ クラーナ(記者)は長文の手紙を書き、アンナプーナ・デヴィは返事を返した。彼女の生涯について、彼女の夫について、そして、なぜ彼女が演奏を絶対に録音しようとしないのか、について。

南ムンバイのワルダン ロードにある、16階建ての高層ビルで彼女は生活している。隣人の誰かが、彼女はミュージシャンだと言った。だが、真相は誰も知らない。誰も彼女の姿を見かけることはない。彼女の生活する一帯は静寂に包まれて、深いシタールの音が奏でられる夜だけ音が響きわたる。そのドアにかけられたボードには外からの侵入者を固く拒む書き込みがしてある。

『月曜日と金曜日にはドアを開けることはありません。ベルは3度だけ鳴らして下さい。もしも誰も出て来なければ、お名前と住所を置いてお帰り下さい。ありがとうございます。不便をお許し下さい。』

数少ない人が聞くことの出来た、冷えた真冬の朝に演奏されたラーガ・コウシキのレコーディング。その音のかすれた録音を1度聞いてしまった人は、とりこになって二度と忘れることは出来ないだろう。

その録音についてはBaithakやMehfil(音楽のグループ)の中で、「世界で唯一のスルバハール(低音のシタール)演奏者の伝説」として畏怖の念を込めて静かに語られており、徐々に人々にも聴かれるようになった。

彼女の父親は、マイハール・ガラナ(流派)を見いだした音楽の神、ウスタッド・アラウディン・カーン(  Ustad Alauddin Khan )であり、同時に師でもあった。アンナプルマ・デヴィはサロード奏者ウスタッド・アリ・アクバル・カーンの妹でもあり、パンディット・ラヴィ・シャンカールの最初の妻でもあり、少ない知識で楽器の本質を熟知した音楽家である。

本当に身近な者だけが彼女に会うことができる。

半世紀の間、アンナプーナ・デヴィは彼女の音楽を静寂の中に閉ざした。レコーディングを絶ち、コンサート演奏をやめた。彼女について充分に知ることの出来る術はない。1977年、彼女の自宅に贈られるべきだったパドマ・ブシャン・アワードは届かなかった。録音やコンサートのオファーはなかった。一流演奏家からの共演依頼もなかった。最も自分自身を売り出すべき年代の時に彼女は、観客は必要ないとゆう思いもよらない次元に達した。

さて、私が彼女に面会を申し出た時のこと。それは不可能への挑戦だった。私には彼女に辿りつくためのEメールアドレスも、FAX番号も無かった。まず私は、手紙を握りしめて郵便局へ向かった。しかし、なんと愚かな試みだったか。世界から消え去ってしまった演奏家への元へは辿りつくことはなかった。

私の唯一の望みは、数年前に会ったことのある、彼女の甥の娘、Ms.サハナ・グプタ( Sahana Gupta )のみとなった。

3週間後、便りが届いた。Rajan Vathiyathによって書かれた手紙には、「彼女は極めて私的な人物でありますゆえ、個人的なインタビューにお答えすることは出来ません。しかし、あなたはMs.グプタを通してご連絡された方なので、手紙をお送りいただけば彼女は質問にお答え致します。」と書かれていた。

唐突に、ドアは開かれた。

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