私が初めてヨガに来た時のメインの目的はヨガでした。最初は1日中ヨガに没頭しているとても盲目なヨガ練習生でした。しかし、インドにヨガ修行のために来た翌年には、音楽に傾いていて、今ではすっかり音楽修行がメインです。
私にとっては、今でも音楽の練習はヨガそのものです。ヨガとインド音楽にはとても深い繋がりがあります。
ナーダヨガとは?
音楽はヨガになり得ると書いていますが、古典ヨガにもナーダヨガ(音のヨガ)と呼ばれるヨガがあります。
ハタヨガの修業では、クンバカ(プラーナヤーマ)や瞑想の実践が深まると、ナーダ音と呼ばれる音が自然に聞こえてきます。
始めは様々な音が聞こえてくるナーダ音ですが、瞑想が深まってくるとバンスリ(フルート)に似た音になります。その音に意識を縛り付けるのがナーダヨガです。
終期には鈴やフルートやヴィーナのような音が聴こえる。
ハタヨガプラディーピカ4章86節
ヴィーナはサラスワティ神が演奏している楽器でとても低くて深い音です。
バンスリ(フルート)はギータ―を書いたクリシュナ神の楽器です。
Divinity, – Divine Music for Mediation花の蜜を吸っている蜂が花の香りに気をとめないように、ナーダ音に結びついた心は他のことを求めなくなる。(ハタヨガ・プラディーピカ4章90節)
ハタヨガ・プラディーピカ4章90節
ナーダ音に出会った心は、音にしっかりと縛り付けられて、外の世界の事柄に意識が向かなくなります。
その一点に縛り付けられた状態は、不動の心の状態です。
ヨガスートラの冒頭にあるように、ヨガとは心の働きを制止することです。心の動きを止めることのできるナーダヨガは、ダイレクトにヨガの達成に到達できる実践です。
ヨガの練習が音楽になった時
私がバンスリに出会ったのは2012年にアラハバードで行われたクンブメーラを訪れた時です。その帰りに寄ったバラナシで、立ち寄ったカフェに座っているとバンスリのCDを流す音が聴こえて、カフェの目の前にあった楽器屋で300ルピー(約500円)のバンスリを買いました。
その時にCDショップで流していたのが、兄弟子であるラケーシュ・チャウラシアのCDでした。
始めは、演奏することよりも聴くことに夢中でした。
買ってきたCDを1日中聴いて、iTunesで出来る限りアルバムをダウンロードしました。
バンスリに出会って最初の2年は、スマホに一曲もグルジの音源が入っていなくて、毎日ラケーシュだけを聞いていました。
デリーのグルジと出会って練習に向き合う
バンスリの練習がヨガそのものだと教えてくれたのはデリーのグルジであるHarsh Wardhan氏です。
グルジとの練習はとてもシリアスで深いものでした。
練習の最初の最低10分はSa(基本になる音)の1音だけを永遠と吹きます。もちろん、満足できなければ、永遠とたった1つの音を、出来るだけ長い呼吸で吹き続きます。
その後、1音ずつ音程を確認しながら出来るだけ小さい音で長く吹くのですが、グルジと一緒に練習すると音程の練習だけで1クラス3時間というものも頻繁にありました。
私の1日の大半は
- 背筋を伸ばして長く座ること
- 長く呼吸すること
- 1つの音に全神経を集中させること
この3つだけに費やされていました。
では、リシケシでヨガをしていた時にはどうだったのでしょうか。
- 1つの対象に意識を集中する(瞑想)
- 出来るだけ細く長く呼吸する(プラーナヤーマ)
- オームの音を復唱する(マントラヨガ)
行っていることはヨガの時と全く同じでした。
ヨガのアーサナを行っている時も同じです。呼吸の一点に意識を向けて、出来るだけ深くて安定した呼吸に合わせてヴィンヤサを行っていました。
ヨガの練習は、リシケシにいた時でも1日に5時間程度でしたが(座学は除く)、バンスリは長い時で1日に13時間時間練習していました。
ヨガよりも長い時間集中して練習を続けられるバンスリは、私にとってもっと深い鍛錬な気がしました。
音楽を演奏する時もですが、聞いている時もヨガと同じです。
音のディテールまで愛おしくて没頭して聴いていると、完全に外の世界のことを忘れてしまいます。寝る時に子守歌で聞こうとすると、楽しみ過ぎて朝方まで聞いてしまって寝不足になることも…
私にとっては、音がヨガそのものでした。
いつか、ハタヨガの内側から聞こえるナーダ音も聞いてみたいです。
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