最も尊敬する兄弟子であり、先生であり、親友であるラケーシュ・チョウラシアとヨガについて話し合いました。
いつも通りの会話なのですが、私は感動しすぎて愛おしさで胸がいっぱい。
私がバンスリという楽器に出会い、ラケーシュの音楽に出会い、ヨガから音楽にシフトしていったときに感じていた予感は全て正しかったのだなと思いました。バンスリに出会って7年、ラケーシュから習い始めて3年、沢山話し合いを重ねて、知れば知るほど私にとって必要な出会いだったのだと実感します。
音楽はヨガだけど、音楽家がヨガをやる必要はないと言われた6か月前…
ラケーシュはとても信仰深い人でありながら、信仰に対してとても思慮深い人。
なので、ヨガに関してもとても冷静な意見を持っていて、多くのヨガの先生に対して疑問を持っています。
半年前、私がヨガ哲学に集中し始めた時には、あまり賛成してくれなかった。
「ヨガが人を助けるって言うけれど、どうしてヨガが人を助けられるんだ?」
彼は、仕事で本当に沢山の著名なヨガマスターに出会っています。
期待して会って、がっかりさせられた経験が何度もあるのだと思います。とても繊細で自身も理想に近づこうと日々過ごしているので、人に対しても余計に敏感。
特に私たちのグルジは本当に人格者なので、どうしても比べてしまうのですよね。
「たいそうな言葉を並べるマスターは多いけれど、結局どこのヨガもお金のことばかり。ビジネスじゃないか。ヨガは巨大なビジネス。お前は、なんでそんな世界に加わろうとするんだ?」
今思い出しても本当に反対されていたな…。
反対しながらも、その都度気にして話を聞いてくれて、少しづつ理解してくれました。
実は、グルジからも、ヨガに関しては本当に反対されていました。
「バンスリはヨガそのものだ。なぜバンスリを練習しているに他を求める。」
グルジの言うことは本当に正しい。私はバンスリを真剣に練習するときに、ヨガとしてバンスリを練習することを決めていました。バンスリで到達していないのに、他のことに手を出すのは反対されて当然です。
だけど、いつかもっと音楽に集中するために、ヨガの仕事を安定させたかった。
グルジには、どうしても認めて頂く必要があるので、何度も何度も説明しました。
今でも、大賛成とは言い切れないものも、私がヨガを教えていることを他の人に自慢してくれているらしいので、半年頑張った甲斐はあったと思います。
改めてヨガについて話し合った
今日もラケーシュが私の仕事について聞いてくれて、ヨガの話になりました。
「それじゃあ、ヨガについて教えてよ。俺、瞑想とかできないし。」
「あなたの音楽こそがヨガだから、ラケーシュには必要ないよ。バンスリを吹いている私たちは、その時間、音に意識を向けているでしょ。」(緑は私)
「でもさ、今朝も俺は急いでいて、だけどムンバイの道は本当にひどい運転のヤツばかりでさ、俺もイライラして荒い運転をしてしまったんだよ。こんな世の中で、どうしたら良いんだ?ギーターにはあらゆる悩みの解決法が書いてあると聞いた。その意味は?」
ラケーシュの言いたいことは本当によく分かる。
ヨガの聖者のありがたい言葉は今まで散々聞いてきた。知識としても知っている。しかし、どんなありがたい言葉を聞いても、ムンバイの日常に戻ると結局イライラさせられてばかりで、誰も救われていない!
「ギーターに答えがあるのは本当。だけど、効果は実践者にしか訪れない。ヨガの知識では他人を変えることができない。だけど自分自身は変えられる。こんなムンバイだからこそ。」
「どんな効果があるの?」
「ヨガを知った人のことを一般的に蓮の花に例えるの。蓮は汚い泥の中からも姿を現すじゃん、どれだけ周りが汚くても、泥水を弾いて美しさを保っているでしょ。
インドにいるからこそ、生きることは本当に邪魔ばかり入ってイライラするよね。だけど、1日に2時間か3時間私たちは音に意識を集中させて、その時に純粋さに戻っているでしょ。」
ちょっとした賭けでした。
その純粋さは、経験した人にしか分からない。言葉で説明できる自身がなかった。
だけど、音楽への集中が誰よりも優れているラケーシュは、すんなり納得してくれたみたいで、その後も蓮の例えを自ら使っていた。(この頭の良さが本当に素敵。)
ヨガで変えられるのは自分
「で、私たちって誰だよ?」
「あなたと、私と。」
「俺の息子とか、彼らの世代は本当に難しいんだ。それに、みんな忙しくて2時間も3時間も時間を取れない。」
「時間は本当はある!」
「ああ、あるな。スマホばかり見てる。ないのは集中力だ。」
「ヨガは、求める人にしか効果がない。それを求めない人には効果がない。ヨガの知識は難しくないから、誰でも理解はできる。だけど、本当に体感できるのは、自ら求めて実践した人だけ。自ら求めない人を変えることは難しい。」
このトピックに関しては、以前から本当に悩んでいる。ラケーシュ本人の自己コントロール力は異常なくらい高いけれど、彼が自分の息子たちに伝えられないことを気にしているので。だけど、私は一度もちゃんと答えられていない。
多くのヨガ教室の問題
「実際見てみろよ。インドでヨガはエクササイズだ。みんなヨガを行っているけれど、人々はボディメーキングにしか興味がない。インドでヨガとは、ダイエットだ。俺のフラットでも、ジムで走る体力がない人はヨガに通う。そして自分はヨガをやっていると誇らしげに話す。ヨガはステータスでしかなくなっている。」
「それもヨガの一部。身体の健康を求める人は、それを手に入れることができる。自分の人生を変えたい人には、その効果がある。日本でも、エクササイズのヨガが多い。でも、私の講座に予約が集まったのは、人々が心のヨガを求めている証拠だと思う。」
「この間アメリカでヨガセンターに行って、本当にみんな穏やかだったんだよ。3千人の外国人がみんな、すごく朗らかな顔をしていたんだ。」
どうやら、欧米のヨガセンターで、平和な人たちに出会って興味が湧いたらしい。インドの著名なヨガセンターよりも、海外の方が平和だと感じさせられるのはちょっと悲しいな。
結局ヨガとは
「分かったよ。じゃあさ、すごく短くヨガの本質を説明してよ。」
なんて無茶ぶりな…話が下手なので難しいよ。
「ヨガは、アートマン、プルシャに気が付くこと。自身の内側にある本当の穏やかさに気が付くこと。外の世界の快楽や苦しみは無常だけど、アートマンの幸せは終わりがない。あなたにとっては音楽。変えられるのは外じゃなくて、自分だけ。」
「自分が変わると、人も幸せにできるしな。」
はっとしました。私、大切なこと忘れてた。
自分を変えると、それが周りの人を幸せにできるのだった。
「インド人の親切は名誉と見せびらかすための偽善だからな。」
本当にこの人、ヨガの経典に書いてあること何でも知っているのに、私に聞く必要ないじゃん。ラケーシュの言葉は、全部自分でやってきたこと。私じゃ全く太刀打ちできない。
「で、お前、グルクルでヨガ教えないの?日本語でしか教えないなんて、なにそれ。」
「なんでそんな事しないといけないの。私も実践(バンスリ)しないと。自分がしていないのに、教えられない。私も時間が必要。」
「そりゃそうだな。」(素直)
実践者の言葉にしか意味がないことは、本当に同感なようです。
本を読まなくても学べるヨガ
結局、終始私が学ばせてもらった気がします。
私が教えているようなヨガ哲学は、ラケーシュにとっては全てすでに実践していることばかり。ギーターなんて全く知らなくとも、彼は自分の信じたグル(師)の元で音楽を学んだことで、ギーターに書かれていることは何でも知っています。なので、ラケーシュにとっては、自分の行っていることに言葉の説明を当てはめるだけ。
グルジが常々「バンスリはヨガだ」と言っていますが、それを最も実践しているのはラケーシュなのだと思う。
彼が私の言葉を信じてくれるようになったのは、私がやってきた努力を近くで見てくれていたから。これからが本番。言葉にできるのは、やってきたことだけ。ヨガとバンスリと、今まで以上に頑張らないと、ラケーシュに話したことが嘘になってしまうと。大きな激励をもらった気がします。
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