バガヴァットギーター・ギーターに書かれたダルマ(義務)をヨガで理解する

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カルマヨガとは、自分自身に与えられた職務(ダルマ)を良く遂行することです。

ところで、私のダルマってなに?

私は何をするべきなの?

しかし、自分自身のダルマ(義務)が分からないから悩む人はとても多いですね。

今日は、ダルマについて深く考えたいと思います。

ダルマとは、自分の本性に従うこと

ヨガ哲学では、人には、誰にでも生まれた時に与えられた本性があると考えられています。自然体の自分です。

私たちは、本来の自分自身の姿であることで、心地よく生きることができますが、それに反した生き方をすると、生きることが難しいと感じてしまいます。

必ず、自分自身に与えられた職務(ダルマ)に従った生き方をしましょう。というのが、ギーターの教えです。

自己のダルマの遂行は、不完全でも、良く遂行された他者の義務に勝る。自己の義務に死ぬことは幸せである。他者の義務を行うことは危険である。

バガヴァット・ギーター3章35節

もしかしたら、他者と比べて、自分の行いに自信が持てないこともあるかもしれません。しかし、 自分の人生は比較するためにあるものではありません。

例え:サッカーのゴールキーパー

サッカーのゴールキーパーに例えてみましょう。

キーパーは、毎日ゴールを守るために練習してきたので、試合で自分自身も活躍したいと思うかもしれません。

しかし、なかなかボールが来なかったら?

ゴールキーパーがボールのある方に一緒に走ってはいけませんね。

ゴールキーパーにとって、ゴールの前で相手が攻めてくるのを待つのは役目です。たとえ、ボールが来なかったとしても、そこを守り続けなくてはいけません。

ゴールキーパーに全くボールが来なかったら、それはつまり、見方がずっと攻めていたということであり、チームにっとは良いことです。それは、キーパーにとっても良いこと。

試合に勝ったけど、自分のところにボールが来なかったから不機嫌になっているようなキーパーであれば、キーパーとして失格ですね。

このように、カルマヨガでは、自分自身に与えられたダルマ(役割り)を遂行することがとても大切です。自分にとって好ましいものでも、好ましくないことでも、役割を果たすことで、幸せが訪れると考えられています。

ヨガで自分のダルマが分かるようになる

たとえば、バガヴァッド・ギーターの中に出てくるアルジュナであれば、彼のダルマはクシャトリア(王族・士族)として生まれたのだから、戦うことでした。

しかし、現代の日本で生きる私たちにとっては、

そもそも自分が何をするべきか分からなくて困っている!

私のダルマって何?

というのが本音ではないでしょうか?

自分自身のダルマが分からないのであれば、それを見つける方法がヨガです。

外からの情報で選択すると間違いが多い

通常私たちは、様々な情報からものごとを判断しようとします。

例えばパートナーを決める時にも、たくさんの情報・条件で決めるとすれば

  • ルックスが良い
  • 収入がそこそこある
  • 安定した職種についている
  • 親と同居しなくていい
  • 転勤の可能性が少ない

などの、条件ばかりで判断してしまいます。

もちろん、パートナー以外にも、仕事を決める時、住む場所を決めるときなど、人はできるだけ情報を集めて間違った選択をしないようにします。

しかし、条件で決めたことは、自分の本心ではなくて、他者との比較で選択することが一般的。そうすると、本来の自分にとっての快適さとはかけ離れてしまうことが多くあります。

ヨガの実践をしていると、パートナーと別れたり、仕事を辞める人がとても多いです。

それは、過去の自分が行った選択が、自分にとって快適でないものだったと気が付くからです。

答えは、内側から現れる

では、本当に自分にとって快適な選択とは?

それは、外に答えを求めても見つけることができません。答えはいつでも自分の内側に存在しているものだからです。

答えを焦ってはいけません。

まずは、じっくりと自分自身に向き合う練習をしましょう。

アーサナ・プラーナヤマ・瞑想、外的な情報に惑わされずに、自分に意識を向けている時間を出来るだけ作るようにします。普段は頭の中があらゆる情報でいっぱいになっているので、自分の声に耳を向けることができませんが、ヨガをすることで心のなかにスペースができて、自分の声を聞くことができます

自分の内側に意識を向けるのには、トレーニングが必要です。

今すぐにと答えを急いでも難しいかもしれません。

しかし、焦らずに心地いいヨガの実践を続けることで、自然と自身が本当に心地よさを感字られるダルマに気が付くことができます。

目先の感情に流されないこと

「自分の心の声を聞こう!」

「自分に快適なことを選ぼう!」

という安直な選択にも注意が必要です。

たまに質問を受けるのですが、ヨガのTTを受けている生徒さんから、

ヨガの勉強を行っている時はとても楽しいのだけど、この後帰ったら、息子のお迎えに行って、食事を作って、世話を焼くのがとても大変。これも自分のダルマなのでしょうか?

と質問を受けることがあります。

短絡的に考えると、今快適でないから…子供の送り迎えはやりたくない。だけど、義務でやらされている。と思うかもしれませんね。

しかし、ダルマは1つづの行為ではなくて、もっと大きなパッケージです。

「母となって子供を育てたい。」

と思ったら、それに伴う感情は、楽しいことも、つらいことも全てセットで付いてきます。

その時の感情に流されることも賢明とはいいがたいです。

ヨガによって、より客観的な視野を手に入れることができます。

答えは求めてすぐにやってくるものではありません。

実践をしている中で、いつの間にか現れるものです。

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