アンナプルナ・デヴィ:インド音楽の陰で生きた女性5(最終)【Notes from behind a locked door】

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こちらの記事の続きです。

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Notes from behind a locked door 5

アンナプルナのクラスは夜中にのみ行われた。彼女から35年間学んだサロード奏者であるPradeep Kumar Barot(57)は「私は本当に恵まれている。私たちのような師を得られる人は多くはない。偉大な音楽家でありある彼女は、とてもシンプルで暖かい人だ。」と言った。姪っ子のSahanaは、「とても暖かい人。私の子供たちと一緒にいる時間を愛してくれる。」と言います。弟子であるBarotなどにとっては厳しい師であったが、ベンガル流の魚カレーを作ってくれたそうだ。


1982年にアンナプルナは弟子の一人であり13歳下のRooshi Kumar Pandyaと結婚した。 “Pandya 氏は結婚当初から私の世話を見てくれた。彼がいたから、私は生きて指導をすることが出来た。彼がいなかったら、これほど長く生きられなかった。」

Pandyaはこのインタビューにおいて、様々な答えをくれた。
「私は彼女に1974年に出会った。」と言った。「私はアメリカでAli Akbar Khan sahabから学んでいたが、仕事でインドに引っ越すことになった。私が音楽を続けるために、彼の妹から学ぶように言われた。」

ムンバイに来たPandya は、アンナプルナから約8年間指導を受け、結婚を申し込んだ。

「彼女に結婚を申し込む時、不安があった。しかし我々は2人ともシングルであった。彼女が私にはもう指導をしてくれないリスクもあった。私が彼女に話した時、彼女は過去に傷ついているから簡単には決められないと言った。しかし、4日後に彼女は承諾した。」今でもアンナプルナは彼にとって師である。

1992年、1度目の結婚時の息子であり、Pt.Ravi Shankarと頻繁に演奏をしていたシタール奏者であるShubhendraがアメリカで亡くなった。「Shubhoの死は大きなショックだったし、避けられなかったのか考えた。」

Shubhendraの子供 Som と Kaveri Shankar はアメリカにいるが、アンナプルナを時折訪ねる。「Shubhoの娘 Kaveri はバラタナティヤムのダンサー。彼女はたまに訪ねて来ては、楽しい時間を過ごす。」とアンナプルナは書いた。

「もう一度人前で演奏したいか」という質問に対しては「いいえ」と答えてあった。

ジャーナリストとではなく、音楽家としてお会いすることは出来ないか?「申し訳ないけれど、私は誰にも会わないので。」

アンナプルナ・デヴィの師からの教えにのみ身を投じた人生とは。「私は少ない生徒たちに指導している時と、鳩に餌をやっている時平和を感じる。」


世界から忘れられて、日陰で生きてきた、しかし尊大な人生というのが私の抱いた彼女のイメージだった。彼女が深夜にスルバハールを奏でる時、マイハールの神に向けて演奏しているのだろう。

―――原文はこちらで読めます―――

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