2月29日と3月1日の2日間、デリーのネルーパークでラヴィ・シャンカル氏の100年記念コンサートがありました。
今回の目玉だったのは、私のグルであるPt.Hariprasad Chaurasiaと、タブラ奏者ZakirHussain氏の演奏です。私が2人の共演を聞くのはグルマが亡くなった時以来。とても楽しみにしていました。
2人のグルジに囲まれてのデリー滞在
デリーにもグルジのいる私は、2日前の夜中にデリーに移動して、デリーのグルジの家に泊めて頂きました。私にとってデリーのグルジの家は第二の実家です。インドで唯一、本当の家族のように安心して過ごせる場所。デリーに行くと本当にホッとします。
現在のデリーは、内戦中のような酷い状態です。
24日から町の中で暴動が起き、現在までに38名もの命が絶たれました。詳しい政治的な理由には言及したくないのですが、政治や宗教間の問題があり、イスラム教への迫害が問題のようです。
そんな状況の中、常に私の動向に責任を感じて守ってくれる下さる人がいるのは本当にありがたい。
土曜日はムンバイからグルジが到着する日だったので、夕方からグルジの滞在先のホテルに移動しました。ホテルは少し遠かったのですが、私が来るときには、絶対に休憩しないで待っていてくれます。インドには昼寝の文化があるのですが、練習をしながら待っていて下さったグルジ。
その日は特にスケジュールが入っていなかったので、夕方からゆっくり休んで、夕食には兄弟子のVivekも呼んで団らんしました。
グルクルでも頻繁に会っているのですが、ホテルでのんびり過ごすときの方がグルジもリラックスしていて楽しいです。
コンサート当日は、デリーのグルジとお嫁さんを会場にアテンドする役目がありました。
グルジに指示された時間に到着しましたが、道中でコンサートの遅延が分かり、グルジも会場入りを1時間遅らせることにしていました。
ゲストを連れていた私は、右往左往しながら何とか来賓席を手配出来て…、先のアーティストの演奏を聞きました。ラヴィ・シャンカル氏の作ったGangeshwariという名前のラーガ。とてもカッコイイ演奏でした。
演奏の途中で、グルジが会場入りするからグリーンルームに来るようにと電話が入り、厳重過ぎるセキュリティーを超えてバックヤードへ。舞台の奥に行くと目の前にザキールジ。厳しい警備で取り巻きが少なかったので、普段のコンサート前よりもリラックスしていらっしゃいました。
グルジの会場入りを遅らせたのも、ザキールジの指示だったそうです。私のところに遅延の連絡があったのは、本来の演奏時間の2時間前。それもザキールジからグルジに連絡がいき、その後私に連絡があったので、本当に早く来ていたようです。アカンパニストとしての姿勢を感じました。
私がバックヤードに到着してからは、私からグルジに連絡するようにと、さりげなく促してくれました。私の師弟関係まで立てて下さる、本当に細やかな心遣いに感激しました。
その後、グルジが到着してからもすぐにはグリーンルームに入らずに、ザキールジは野外にいました。
ゲスト用のスナックを取りに行こうと外に出たら、グリーンルームのすぐ外にザキールジが立ってタイミングを計っているのを目撃。グルジが演奏する曲を決めて、生徒に伝えるのを待っていたようです。
その後、生徒たちの打ち合わせが終わった頃に、ぴったりのタイミングでザキールジが入ってきて、音合わせをしました。外で待っていたなんて全く顔に出さずに、とてもカジュアルに振舞っていました。
ザキールジがタブラを叩き始めたら周りの空気がぴしゃりと引き締まるので、本人が空気を和やかにする心がけが素晴らしい。(ラケーシュとの共演時とは空気の作り方が違うので、やっぱり意識していらっしゃったと思います。)
これも、古くからグルジの伴奏をしていたからこその気遣い。プロって本当にすごい。
大きな公園の中に作られた会場は当然満員。
グルジが選んだラーガはBihagでした。
実は、大きなコンサートなのに音響が整っておらず、サウンドチェックの時間もなかったため、演奏者用のモニターから聞える音は最悪でした。
演奏者はほとんど自分たちの演奏を聞けていない状態です。
私はタンプーラを演奏していたので、たぶん舞台でたった一人だけ全員の音が聞こえていました。
グルジが舞台に座り、伴奏が後ろになってしまったため、本当にグルジの音を聞くのが大変だったのですが…。
ほぼ聞こえない中でサポートをする2人の兄弟弟子とザキールジに感動しました。
演奏については何も言えません。
ただただ感動しました。
コンサート、その後
コンサートが終わった後は、グルジの部屋で兄弟子たちと食事を頂きました。
私たちの一門では、いつもグルジと一緒に食事をいただきます。
他のアーティストの方はけっこう違うことが多いようなので、絶対に弟子と食事をするグルジには本当に感謝しています。
長くグルジと旅をしている2人と、グルクルでいつもグルジと過ごしている私。誰一人お互いに気を使いません。もちろん、生徒全員がグルジのお世話をしますが、慣れているのでサラっと。
兄弟弟子同士も、全く気にせず、好きなように過ごしています。
お互いに気を遣わずにい同じ空間で同じテレビで笑える関係。
なんか、本当の家族みたいで泣きそうになりました。昭和の家族みたい。
(兄弟子2人も、自分の親とは離れて生きています)
私は帰りのフライトがあったので、兄弟子Vivekについてきてもらい、ロビーに行きました。
タクシーを手配していると、同じくムンバイに帰るザキールジ。
何人ものお弟子さんに囲まれてはいましたが、プライベートの時間は本当に優しい人。
一生懸命に日本語を思い出しながら、ジョークを交えてお話ししてくれます。同じムンバイ行きなので、送ってくれようとしたのですが、残念ながらターミナルが違って断念しました。
テレビのインタビューの時にも、私の話を出して、「音楽が言語を超える」と話してくださったのを思い出しました。
私はグルジの弟子であるので、必要以上に関わることはありませんが、グルジやラケーシュのいない時には、急にフレンドリーに話しかけてくれるザキールジにいつも勇気を与えられています。
インド音楽の神様から、私もインド音楽を学ぶ一人として認められているようで嬉しい。
世界中のアーティストに夢と勇気を与え続けているザキールジ。
デリー滞在の最後にまた会えて良かった。
兄弟弟子の絆…
その後、一人でタクシーに乗ったのですが、2人の先輩弟子に空港のチェックインまで心配して頂いて連絡を取っていました。夜中の2時。姉弟子は、寝ずにデリーに来たのに、翌朝もフライトで別の都市でコンサートでした。
タクシーを代わりに手配してくれた兄弟子は、「お前の安全は俺の義務」と、私が連絡が遅れると電話をくれました。
たしかにインドは日本より治安が悪いかもしれない。
だけど、いつも誰かが守ってくれる、
本当に素晴らしい人たちと生きれて幸せです。
それを、ラヴィ・シャンカル氏のためのイベントで感じることができて幸せでした。
インドの生活は色々あるけれど、本当に幸せです。
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