インド・グルガオン(グルグラム)のヨガスタジオ VYOM Wellnessで2日間のバガヴァッドギータ講座を行いました。
私からお話するような内容は、普段ヨガジェネさんで書いている内容とほとんど同じなのですが、生徒さんたちの言葉から学ぶことがすごく多かったです。
忘れないように書き留めておきたいと思います。
思い出しながらなので、説明足らずで読みにくいのは申し訳ありません。
選択の権利を与えられた私たちのカルマとは?
インドでは伝統的にカースト(職業階級)があるので、自身の義務(ダルマ)を与えられている。
だけど、自分で選択しないといけない私たちのダルマとは?
こちらはギーターの話をすると毎回聞かれるテーマです。
「自身に与えられたダルマ(義務)を遂行しましょう」というギーターの教えがありますが、日本に生まれた私たちにとっては何が義務(ダルマ)かを知ることが難しい。
何を行うかを選択する権利が与えられた私たちのダルマとは?
私個人の考えですが、選択することが私たちに与えられたダルマだと思っています。
例えば教育を例に与えて考えると、
- 幼少期には基礎(文字の書き方、言葉の話し方)を学ぶ
- 義務教育では決められた科目を学ぶ
- 高校・大学では、自身で選択した科目の与えられた内容を学ぶ
- 社会人になると、自身で何を学ぶかを選択する
その人の段階によって、100%決められた課題を勉強するか、部分的に選択するか、完全に自分自身で選択しないか、と、変わってきます。
私たちは前世のカルマによって、今世の生まれてくる環境が変わってくると言われていますが、その人によって、今世での義務が分かりやすく提示されている人もいますし、「自分で考えなさいね」と言われている人もいるのだと思います。
「何をしたらいいのか分からない。」
という悩みを持っている人は沢山いると思いますが、義務が分かりやすく提示されなかった人にとっては、それを考えること自体がダルマです。
ヨガは、生きること全てが課題なのだな、と改めて考えました。
魂(真我)は磨けるもの?
インド思想の土台がない人にとっては分かりにくいのだな、とハッとさせられた質問です。
「本当の自分を探しましょう」とヨガでは頻繁に言います。
また、ヨガは自分自身を高めるアプローチであり、自分磨きでもあります。
そのため、「ヨガで真我が磨ける」と考えていた生徒さんがいらっしゃいました。
しかし、磨いているのは、プラクリティ(物質原理)によって作り出された物質的な自分です。それは、肉体であったり、心であったりします。
しかし、真我、魂の部分はヨガの実践によって磨かれることはありません。
真我は、ずっと完全なる純粋さを保っていて、一切汚されていません。
輪廻転生があったとしても、変わっているのんは真我が来ている衣服の部分(身体)のみです。服が変わっても、それを着ている自分自身は変わっていません。
どれだけ煩悩に囚われていたとしても、自分の内側に宿っているプルシャは常に美しい。何も足さなくても、幸せは既に存在している。
それを理解できると、自身をもっと大切にしてあげられる気がします。
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