ヨガは自分自身に向き合うメソッドでもあります。
私たちが日常で「自分」だと思っている自分は、ヨガで考えられる「本当の自分」とは違うかもしれません。今回は、ヨガで考える「自分」の定義と見つけ方を考えてみましょう。
ヨガは自分自身と向き合うこと
忙しい日常生活を送っていると、自分自身に向き合うことができていないかもしれません。
自分のを考えているつもりであっても、本当に自分が見えているのか?
「自分を見ている」とはどのような状態なのか?
じっくり考えてみましょう。
今見ている自分は本当の自分?
自分の声を聞いているつもりであっても、それは自分の本当の心ではないかもしれません。
- 痩せて綺麗になりたい
- 素敵なレストランでお洒落な食事がしたい
- 上司の期待に応えられるような仕事がしたい
- 目指していた大学に入学したい
自分のためにと思っていることも、実は社会や周りの人の価値観によって作られたものかもしれません。
それって本当の自分の心?
痩せたいと思うのはどうしてでしょか?モデルさんがいているようなかわいい服を着たいから?それは、誰が作った価値観でしょうか?
自分自身の要求ではなくて。他人の価値観に合わせることによって、周りから高い評価が欲しいという承認欲求を満たしたいのではないでしょうか。
「他人から評価されたい」といった承認欲求にはキリがありません。
自分の要求についてじっくり考えてみると、どれも他人の価値観に左右されていませんか?
本当に自分にとって心地いいものでないと、安定した幸福感を得ることができません。
一瞬の快楽は得ることができても、心の奥では満足できていない状態です。
できるだけ長く安定して続く幸福感を学ぶことで、生きることがとても楽に感じることができます。
自分が持っている自分は自分ではない
普段自分だと思っている自分は、とても表面的な自分です。
ヨガでは、外側の自分から、内側の自分に意識を変えていく方法です。
外から内にいく意識を一つづつ見ていきましょう。
社会性は自分ではない
現在の自分の社会的な立場を自分自身だと勘違いしていませんか?
例えば会社で働いている立場なら、その立場のあるべき姿に自分自身を当てはめてしまっているかもしれません。
職場で後輩の前だと…
私は頼りがいのある良い先輩でいないと!
本当はミスした後輩の気持ちも分からないこともないけれど、ここはしっかりと注意する人がいないといけないから、私がその役割をしないと。
インフルエンザの人がいた…ここは、先輩の私がカバーしてあげないと。
「先輩である私はこうあるべき」という思いが大きくなった結果、「これが私」だと自分自身に言い聞かせているかもしれません。
社会生活を生きるために身に着けた思考のクセは、人生を生きるために必要だと思うかもしれませんが、気が付かないうちに自分自身を苦しめているかもしれません。
社会的立場を離れた本当の自分の気持ちについて考える時間を作ることはとても大切です。
身体は自分ではない
「今生きているこの身体が自分自身」と思うかもしれませんが、ヨガの哲学では身体も自分自身ではありません。
ヨガでは肉体について、お寺に神様が宿るように、本当の自分が宿るお寺のようなものと考えられています。
身体が変わっても、本当の自分自身は変わりません。交通事故で足を1本失ってしまったら、自分が欠けた存在になってしまうのでしょうか?
肌が荒れてしまったら、あなたの存在が荒れてしまっているのでしょうか?
身体は自身の一部ではあるけれど、あなた自身ではないと思うと気持ちがとても楽になります。
心さえ本当の自分ではない
自分の心が本当の自分か?
というと、ヨガ哲学では心さえ自分ではありません。
心は、自分自身のコントロールが効かないところで勝手に働いています。
瞑想をする人は本当に良く分かると思います。
雑念を断ちたい!!
と思えば思うほど、雑念が生まれてしまってなかなか心が静かになりません。
思考は、勝手に生まれて勝手に働いています。
私たちは、とめどなく働いている心の働きの一部に意識を向けていますが、自分が思っているほど自身の心を理解できていないし、コントロールできていません。
心を静めると見える本当の自分
ヨガでは、心の働きを徐々に静めていきます。
普段は絶え間なく働く心の働きに隠されて、真実が見えにくくなっています。
瞑想や、アーサナの後のシャバアーサナで心が静かになると、その時に初めて本当の自分が見えてきます。
それは、日本語でいうと魂のようなものです。
「ここにいる」という、存在に対する意識こそが本当の自分です。
それは、心が働いている間には隠れてしまっていますが、穏やかな時間に見ることができます。
瞑想をしていなくても、ゆったりと過ごしているときに感じることができるかもしれません。
朝、ゆっくりと白湯を飲んでいるときの穏やかな幸福感。
そういった、特別なことがなくても感じる幸せは、本当の自分を感じた時の幸福感と似ています。
私たちは、本来なにも足さなくても美しくて純粋な存在です。
自分自身の内側の幸福感を感じることができないと、外側の快楽を求めがちです。
本当の自分を見つめ直して、幸せな感覚を見つけましょう
ヨガで探している本当の自分は、普段は外側の世界に埋もれていて見つけにくいです。
ヨガの時間、日常の中でも、しっかりと自分自身を見つめ直す時間をもうけましょう。
本当の自分は、何も足さなくても幸せな状態にあります。それは、常に存在しているけれど、見えなくなっている輝きです。
「私は今のままでも幸せ」
それを教えてくれるのがヨガです。
コメント
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