自身のダルマ(職務)を見つけた時(経験談トーク)

yoga

自分のやるべきことが分からないと悩んだ経験は誰にでもあると思います。

ヨガ哲学の生まれたインドでは、カースト制度という身分制度があるため、生まれた時から職業が決まっていますが、現代の日本では自分の職業が何かを自分で選択しなくてはいけません。

バガヴァッド・ギーターでは自己のダルマ(職務)の遂行が最も大切と説きながら、私たちにとってなにがダルマなのかのヒントは少なく、講座をやっていても沢山の方に質問を受けます。

ヨガを教えることを生業とされている先生たちと、クラブハウスという音声SNS上で自身のダルマに気が付く瞬間について経験からトークさせて頂きました。

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ダルマとは、職業だけじゃない。自分が快適に生きるための全ての行い

まず最初に、ダルマとは収入を得るための職業だけではないということを理解しましょう。

ダルマは、「行うべき行為」を意味しています。

どうしてもダルマと言うと、生涯を通して行う天職のようなイメージを持つ方も多いです。しかし、私たちの行うべき行為は、日常のあらゆる行為を含んでいます。

例えば、人間として快適に生きるためのダルマ(行うべき行為)について考えてみましょう。朝起きたら、顔を洗って歯磨きをして、自分を清潔に保つ。これらの行為も私たちが行うべきダルマです。

同じ行為を行うにしても、子供の時に母親から言われて歯磨きをするのは躾ですが、ヨガを行っていると自然にそれを行った方が快適だと気が付けるようになります。それは、立派なダルマの遂行です。

ダルマは自身がこの人生で与えられた身体を快適な状態に保つための行為の場合もあれば、自身と周囲の環境の両方が良くなるための行為の場合もあります。

職業として自分のやるべきことが分からない場合には、身近な日常の行動を見直すことも有効です。小さなダルマから意識することで、感覚が敏感になり、ダルマを感じやすくなります。

欲や執着が無くなったときに見つかるダルマ

今回お話を聞いた先生方の共通認識だったのは、ダルマは必死に探して見つかるものではないということです。

ダルマは、自然に与えられるものです。例えば、周囲の人たちから必要とされて動かされるときなど。

昨年からのコロナ禍の中でヨガの対面クラスができなくなった時、オンラインでのクラスに抵抗があった先生も多いと思います。その時に、生徒さんから「オンラインでやって欲しい」という声が届いたことで行動させられたのであれば、それは与えられたダルマなのでしょう。

自分の前に役割が与えられた時には、それが自分の求めていた形ではなくても、とりあえずやってみることが大事です。

決めるのには悩まない。決めてから悩む

また、自分がやるべきことが分かった時には悩みがないようです。

もしも、「これやるべきかな?」「やめといた方が良いかな?」と悩んでいる時には、それは時期じゃないのかもしれません。

かと言って、何も考えずに直感だけで突き進むという意味ではありません。

何かやると決めた時にはそれが確信であっても、実際に行動するときには沢山の悩みが現れます。「どのようにするか」は必ず現れる悩みです。

例えば、「インドでヨガを学ぶ」と決めたとします。お金はどうするのか?仕事をどうするのか?解決しなくてはいけない課題は沢山あります。自分自身がやるのだと決めたことであれば、障害があっても考えて解決していくことができます。

外からの情報ではなくて内からの声

悩んでいる時にも2種類あります。

  • 本当にやらなくて良い時
  • やった方が良いのに、自分の声が聞こえなくなってしまっている時

人の感覚を鈍らせるのは、いつも外からの情報です。

特にSNSなどを永遠と見てしまう人は要注意。他人の意見に影響されて、自分自身の考えを見失ってしまいます。外からの情報を頼りにすると、思考を活発に働かせて判断しようとします。しかし、人間の思考はいつもリスクを避けるためにネガティブな方向に働くように作られています。

多くの悩みはいつも、無駄な思考によって作られています。それは自分の内側の本心を覆い隠して見えなくなってしまいます。

自分に向き合う時間をもつ

自分の声が何か分からない時には、自分自身に向き合う時間を毎日定期的に設けるようにしましょう

例えば、散歩をしている時に、「今の自分の思考は何を考えているのかな?」と客観的に観察する練習をします。そして「なんでこんな風に考えているのかな?」と他人事のように傍観してみましょう。

少しづつ、外の情報からの思い込みの部分と、自分の本心の違いが分かるようになってきます。

休むこと、リラックスすることもダルマ

「何をしたらいいのか全く分からない」という時も、焦る必要はありません。

「何もしない」ことも立派なダルマなのだと知りましょう。

インドに来ると、何もしない人が多いことに驚かされます。例えばレストランでテーブルを片付ける人が非常に忙しくて仕事が追い付いていなくても、メニューを聞く係の人は暇そうに立っていることは当たり前。

日本人なら、仕事がなければ自分で探すのが当たり前と思うでしょう。

しかし、インドでは与えられていない仕事を欲張って探すのは逆に良くないと思われています。

日本のレストランで働いていてインドと同じことをしたら、さすがに怒られますが、インド人を見ていると焦っている自身の滑稽さに気が付かされることがあります。

自分では何もしていないと思っていても、人は常に何かをしています。

食事を用意している時、食べている時、シャワーを浴びている時、寝ている時、全て人間として生きていくための大切な時間です。何もしていないと怖がる必要は全くありません。

休むという決意も大切

今まで一生懸命に走り続けてきた人にとっては、休むことがダルマな場合もあります。

自分のために大切に時間を使うことは本当に素晴らしいことです。

SNSやメディアでは、努力をして何かを成し遂げた人が賞賛されるので、大きな仕事をしていない自分がつまらない人間だと勘違いしてしまうこともあります。

しかし、幸せを感じる瞬間は人によって違います。

思い切って仕事を減らす、緩く生きるという選択をすることも一つの道です。

年末年始に、コロナ禍で海外からの生徒が消えたヨガの聖地リシケシを訪れました。突然仕事ができなくなった環境を逆に楽しむヨガの先生に会い、ハッとさせられました。

こちらの記事も参考にして頂けると嬉しいです。

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分からなくても焦らないこと

自分のことになると、焦ってしまうことは多々ありますが。

ダルマが分からないからと頭で一生懸命に考えても、答えが出てくることはなかなかありません。

天職というものもは突然降ってくることがほとんど。どれだけ一生懸命に力を注いでも、手放す時期も突然やってきます。

だから執着しないことがとても大切。

出来るだけダルマが与えられたときに受け取れるように、普段から心に余裕をもって、外の情報を入れすぎず、自分と向き合う時間を持つのが良いと思いました。

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