【ヨガ哲学】先生によって言っていることが違うかも? 矛盾を感じたらどうしますか?

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ヨガの勉強を深めたいと思うと、最初は沢山の先生のクラスに出たり、ワークショップに参加しますよね。

ところが、先生によって言っていることが違うような気がする!

と思ったことはありませんか?

ヨガ哲学の部分だけでなく、アーサナ(ポーズ)の説明でも、ワークショップに行ってみたらいつもの先生と違うことを言われて「間違ってない?」と思ってしまったり。

矛盾を感じてしまった時に、どうしたらいいでしょうか。

どうして矛盾は起こるの?バガヴァッド・ギータとヨガスートラの場合

先日ヨガジェネレーションさんで公開した記事に対して沢山の反響を頂戴しました。

ヨガスートラとバガヴァット・ギータとは?何がどう違うの? | ヨガジェネレーション yogageneration
ヨガ思想を理解するための経典は沢山ありますが、中でもポピュラーな2つ、【ヨガスートラ】と【バガヴァット・ギータ(以下、ギータ)】を比べてみたいと思います。どちらの経典も、現代ヨガ思想の基盤となっており、ヨガの世界観を理解するためにとても大切な教科書です。

その後、思っていた以上の影響力にちょっとビビッてしまって…、同じ内容に関して、哲学のグルジに連絡して記事の内容に関して確認しました。

レクチャーを受けたのが6年くらい前なのですが、完全に記憶していた通りの表現とイントネーションでご指導を頂けて感動しました。

ギータとスートラ、それぞれを読んでも混ぜないことが秘訣

現代では沢山のヨガの宗派があるため、様々な解釈があります。

しかし、ヨガ・スートラとバガヴァッド・ギータを全く同じ土台に挙げて読み比べるのは少々困難です。

2つの教典は、成立した当初の段階では、、全く違う2つの宗派に属する著者(または編者)によってまとめられました。成立した時代もかなり違います。

どちらもヨガに関して書かれているから、同じ土台の論理に関して書かれていると思われがちです。

しかし、ヨガ・スートラの成立した当時は、サーンキャ哲学の2元論を採用した哲学に元づいて論理部分が書かれています。

2元論とは、世の中がプルシャとプラクリティ、2つの根本原理によって出来上がっているという哲学思想です。

それに対してバガヴァッド・ギータの中の思想は、世界はブラフマンの内にあるという1元論を採用しています。

ヨガスートラと同様にプルシャやプラクリティという言葉も出てきますが、それらを含めてすべてがブラフマンであるという1元論的発想は現在のインドで最もポピュラーな思想です。

私たちが、これらの複数の教典を読む時に、それぞれ関連している部分が多くあるので参考にすることは可能です。

しかし、相反する部分もあることを知っている必要があります。

混乱は、全てを混ぜて考えてしまうと起こります。

この教典ではこう書かれている、こちらではこう書かれている、全て参照元を理解したうえで考えると、哲学は格段と理解しやすくなります。

※これに関しても否定的な意見があるでしょうが、私にとってはこれが1番理解しやすいです。

どうして混乱が起こるのでしょうか?

たとえば、私の先生は個人的にはヒンドゥー教徒であり、ヴェーダーンタ的1元論(世界はブラフマンから作られている)を信じています。

しかし、ヨガの先生として指導するときには、全ての経典を切り話して読むようにしてくださいました。

それに対して、先生によっては、ヴェーダーンタを信じているのならば、それを完全に信じるべきだと考えていらっしゃる方も多いと思います。

その場合、ヨガスートラを指導する時にも、ヴェーダーンタ哲学の土台を元に指導されていらっしゃいます。

どちらの先生が正しいのかをジャッジすることがヨガではありません。

それぞれに、自分の信じた教えを、信じた先生から教わった通りに指導されているのだと思います。

ヨガには非常に長い歴史があり、沢山の支流があります。多くの支流が出来るプロセスで、相反する解釈に分かれてしまった部分もあるでしょう。

解釈は一つではないことを理解しておくと、特に複数の先生から指導を受ける人は楽になると思います。

とは言っても、自分は何を信じれば良いのでしょうか?

哲学部分だけでなく、アーサナのアライメントなどで先生によって違いがあり、結局自分はどうすればいいの?と思っている方は多くいると思います。

インドの伝統的な教えでは、複数の先生から学ぶことはなかったので、そのような混乱は少なかったと思いますが、今は沢山のヨガスタジオがあるので絞るのは難しいですよね。

私個人の意見ですが、最初は、参加したクラスごとに先生の指導に従えば良いと思います。

実際に、1回試してみて、自分に何が合うのかを見つけるのは良いことです。

誰が正解で、誰が不正解かをジャッジする必要はありません。

自分に合っているか、そうでないかが分かれば充分です。

しかし、練習が習慣化してきたら、やはり先生を絞った方が良いかもしれません。

その辺りの調整は、環境や、自分自身がやってみた経験から選択すれば良いでしょう。

自分にとって一番心地の良いやり方を見つけてくださいね。

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