ヨガの本を読むと、必ずアートマンやブラフマンといった言葉が出てきます。
これらはどういった意味なのでしょうか?
ブラフマンと一体になると言っても、よく分からないですよね。
ヨガやインドの哲学を理解するために最も大切なアートマンとブラフマンについて書いてみたいと思います。
アートマンとは何か?ブラフマンとは何か?
先日アートマンとブラフマンに関しての記事を書きました。こちらでは、ヨガの経典だけでなくて、出来るだけインド思想を理解するために有名なウパニシャッドと呼ばれるインド哲学の経典の文章などをご紹介しています。
さて、アートマンとブラフマンとはどういう意味なのでしょうか。
- アートマン:自己の根源。自分の意識を内側に向けていると、自身の深い部分に存在する。
- ブラフマン:宇宙の根源。この世に存在する全てはブラフマンを根源として生まれてきた。
インド哲学では、私たちの住んでいる世界の全てのものは、原因があって結果があると信じられています。
アートマンは私たちの存在にとっての原因。
ブラフマンは、宇宙全体の原因です。
「全ては1つのブラフマン」とは?
サーンキャヨガの記事で書きましたが、サーンキャ哲学ではプラクリティと呼ばれる物質根源から全てが作り上げられています。もとになっているのは1つの根源であっても、その中の要素の組み合わせで様々なものが作られます。
現在存在している姿は全く別の姿です。
同じ原因を持っていても、別の姿をしているものを「1つ」と表現していいのか?
というテーマは、昔からインドで議論されてきました。
これに対しては、シャンカラというインドの思想史の中でとても重要な哲学者が説明しています。
- 壺、皿、釣瓶(つるべ)など全ては、土のかたまりから作り出される
- 形や名前は違っても、全て土から生み出されたもの
- 「壺」「皿」「釣瓶」という区別は、言葉によって認識された幻影。全て「土」であるというのが真実
私たちはそれぞで違う容姿で生まれてきて、境遇も、性格も違いますが、みんなブラフマンを根源として生まれてきました。
物質的には違うように見えても、その違いは全て幻影です。
別々の存在ではなくて、本当はたった一つのブラフマンである存在が、無数の個別した存在であると幻を見ている状態です。
バガヴァッド・ギータの教えは、本来ブラフマンである私たちが、自分の本質に到達するための方法です。
絶対的な神に帰依しますが、その絶対的なブラフマンとは自分自身でもあります。
アートマンとは?アートマンとブラフマンが一つになる時
アートマンは、私たちを個として考えた場合の根本原理です。
アートマン自体は、行動を起こしません。
私たちの胸の辺りで、純粋な状態を保ったまま静かに存在しています。
肉体という服を着て人間として生まれ、その服が古くなると肉体を離れます。
普段は肉体や思考の奥に眠っていて感じることが出来ません。しかしヨガの鍛錬を積んだり、あらゆる執着を手放した時にその存在に気が付くことが出来ます。
本来のアートマンを感じることが出来た時、宇宙全体の根本原理であるブラフマンとアートマンは一体だと感じることが出来ます。真実を知ったアートマンは、肉体が死を迎えた後ブラフマンの状態へと戻り、再び新しい肉体を探すことをやめます。
それがインド哲学で目指す解脱です。
自分の本質を知り、本来の姿に戻っていくことがヨガです。
***ヨガの本を書きました***
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