ヨガ哲学講座前半終了:ヨガ哲学の質問と回答

ヨガコラム
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1月23日から26日まで、東京のオハナスマイル祐天寺店で哲学の講座がありました。

体調を崩しやすい時期に関わらず、全日程満席で開催できたのは本当に感謝感謝!!

講座中、授業の合間に沢山のご質問を頂いて、今後の講座のヒントも沢山あったので、頂いた質問の内容とお答えした回答を覚えている中でご共有します。

(講座中はメモも取れなかったのでうろ覚えで…ざっくりとした内容です)

哲学を教えるときに気を付けていることは?

私が主に講座をしているバガヴァット・ギーターやヨガスートラは、とても沢山の解釈がある古典の教典です。

特にヨガスートラの宇宙観をお話しするときには、とても気を使います。

実際に私が出会った先生方でも、なん通りもの解釈がありました。

私のグルが教えて下さったのは、

「哲学にはいくつもの意見がある。『自分の意見が正しい』という教え方をしてしまうと、その生徒が他の先生に会ったときに混乱してしまう。だから、『世の中にはいくつもの解釈があって、自分はこう思うけれど、他の解釈をする先生もいる』ということをハッキリと伝える。」

とおっしゃっていました。

古代インドの伝統的なヨガでは、1人の先生に会ったら先生を変えることがありませんでした。

そのため、他の先生と比較する必要はなく、「グル(師匠)を信じなさい。」と教えることが最も生徒を混乱させない教え方だったのだと思います。

しかし、現在の環境では、生徒が沢山の先生のクラスを同時に受講することは当たり前です。

少なくとも初対面の生徒さんの前では、正解は一つでもないことをお話ししてから自分自身の解釈をお伝えするようにしています。

サマディに到達する比較する人は本当にいるの?

私自身は、サマディに到達したという方に何名も出会っていますし、わざわざ自ら言わないだけでその体験をしている人は沢山いると思います。

ヨガを学び始めたばかりの人は勘違いしがちですが、サマディはゴールではありません。ヨガの道の通過点の一つにしかありません。(ヨガスートラの場合)

サマディは瞑想の中で自我(アハンカーラ)が消えた状態になります。

しかし、瞑想を抜けた瞬間に元の日常に戻ります。

人によっては、一度サマディに到達した後、もう一度サマディに戻れなくなってそれがヨガの障害になる場合があります。

ある人は、サマディに到達したことで手に入る超能力に依存してしまいます。

またある人は、サマディに到達したことで、サマディへのエゴが大きくなってしまい、執着がますます強くなってしまいます。

最終的には、サマディへの執着さえ手放したときに解脱が訪れます。

サマディに到達することだけならば、正しい練習を積めば訪れると思います。あまりに特別なことだと思わない方が、体験できるかもしれません。

カルマ(業)って前世のカルマだけではないの?

スピリチュアルな思考を持つ人の間で、過去世によって決められた運命のことをカルマと呼ぶことが多いので、運命のことをカルマと呼ぶと勘違いされる方もいるようです。

しかし、カルマとは、あらゆる「行動⇒結果」の繋がりを示しています。

「コップを落として割れる」というような、すぐに結果が表れるものもカルマに入りますし、「年末食べ過ぎて年始に太る」という、時間差があるものもあります。

もしかしたら心の問題の原因は幼少期にあるかもしれないし、もっと時間を空けて前世だったかもしれません。

しかし、ヨガでは「原因」そのものを突き止めるのではなくて、「原因との執着」を手放すことに意識します。カルマの原因となった「過去」のことを考えすぎるのではなくて、「今」に意識を向けるようにしましょう。

沢山のご質問ありがとうございました

少しづつ講座を振り返って、またご共有できたらいいと思います。

今回の講座はとにかく沢山のご質問を頂いて驚きました。クラスによっては、質問が多かったので、時間が足りなくなりそうで焦ってしまった時もありました。

講座中にご質問を頂くと、同じカリキュラムの講座でも、講義の内容が一気に変わります。その時に偶然いらっしゃった方との出会いで、新しい発見も沢山あって嬉しいです。

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