バクティ・ヨガとは、具体的に何をするヨガなのでしょうか?
バガヴァッド・ギーターを読んだだけでは、実践方法がいまいち分かりにくいかもしれません。
バクティ・ヨガには9つのタイプがあります。複数のバクティ・ヨガを実践することもできるし、一つだけを生涯深めることもできます。それぞれのバクティ・ヨガについてみていきましょう。
9つのバクティ・ヨガ
まずは9つのバクティ・ヨガの種類をご紹介します。
- スルヴァナ(Sravana) – 神についてのストーリーを聞くこと
- キルタナ(Kirtana) – チャンティング、神の讃歌を歌うこと
- スマラナ(Smarana) – 神のことを常に想起していること
- パッドサセーヴァナ(Padsasevana) – 神の足元で奉公すること
- アールチャナ(Archana) – 神への崇拝(プージャ)、捧げもの
- ヴァンダナ(Vandana) – 神に伏し拝むこと
- ダッシャ(Dasya) – 神に完全に仕えること
- サークヤ(Sakhya) – 神と友人のようにふるまうこと
- アートマナヴェーダナ(Atmanivedana) – 神と一体になること
それぞれのバクティは密接に類似している部分もあります。インドでは、とても多くの人がこの9つのバクティ・ヨガを実践しています。
1・スルヴァナ(Sravana)
スルヴァナは、神についての話を聞くことです。
バガヴァッド・ギーターを読むこともここに入るかもしれません。
しかし、知識として知ることに意味はありません。その話によって、心が動かされて初めて意味が生まれます。ギーターの中のたった一つの言葉が、人生を大きく変える経験をする人も多くいます。そのような経験をした正しいグル(師)から聞くこともとても大切です。
2・キルタナ(Kirtana)
キルタナは、マントラや神の名を唱えること、歌うことです。
大切なのは、心で感じること。
キルタンなどは多くの人の心を捕らえて、多くの人が涙を流します。たとえ言葉の意味が分からなくても、神聖な音にはエネルギーがあるので、人の心を洗い、エゴを消し去ることができます。
心で感じることがキルタナではとても大切です。
3・スマラナ(Smarana)
継続して心にとどめていることをスマラナと言います。24時間一時も忘れずにです。
他の仕事をしている時、食事をしたり、買い物をしている時さえ神について思っていることは可能なのか?と思うでしょう。
しかし、それは鍛錬を積めば自然に起こります。
例えば、インド音楽を勉強している私にとっては、1日中ラーガが頭の中を流れていて、夢を見ている間も、朝起きた瞬間も、仕事中も流れています。
分かりやすい例だと、失恋したばかりの人は、悲しくて四六時中その人が忘れられません。たとえ、相手が別のパートナーと結ばれたとしても、忘れられない人もいるでしょう。これはネガティブな例えかもしれませんが、24時間継続して想念している状態の例としては分かりやすいです。
しかし、バクティ・ヨガのスマラナとその他の違いは、スマラナは一生涯神に心を結んでいることです。失恋の悲しさや怒りの感情は、数日・数か月・数年と、時間が経つにつれて薄まることが一般的であるのに対して、神へのスマラナは生涯抱き続けるべきものです。
スマラナは、どのようなヨガを実践しているかによっても変わります。
- カルマヨガ:自分自身のあらゆる行動に意識を向ける
- ギャーナヨガ:ブラフマンに意識を向ける
- バクティ・ヨガ:神に意識を向ける
4・パッドサセーヴァナ(Padsasevana)
パッドサセーヴァナはカルマヨガと非常に類似しています。
神のために奉仕的に働くことを意味します。
大切なのは、奉仕作業をするときに、エゴを捨てて、神のための作業に幸せを感じることです。
例えば、バクティ・ヨガで有名なイスコン寺では、とても大きなお寺の隅々まで綺麗に掃除され、提供される食事を作る人も心を込めて作られているので、本当に美味しいです。シーク教のグルドゥワラと呼ばれる寺院も同じです。そこで働く人たちは、誠意をもって参拝者の靴を預かり(一般的にインドでは他人の足は汚いとされる)、掃除をして、無料の食事を提供します。
5・アールチャナ(Archana)
神に捧げものをすること、崇拝することをアールチャナといいます。
例えば、お寺に参拝するとき、食べ物を捧げたり、お花を供えます。お金を捧げることももちろんあります。これらをアールチャナと呼びます。
神へのアールチャナを行い、神から頂くものはプラサーダです。
通常、料理はまず神に捧げられ、その残り物を頂きます。
6・ヴァンダナ(Vandana)
精神的な神への崇拝。
神を信愛し、自分自身は神よりも低い存在だとひれ伏します。それによって、人の心の中のエゴは消えていきます。
インドの人々は、自然界にあるあらゆるものに神が宿っていると信じているので、その前でひれ伏して祈ります。例えば、バヤンの木の下で祈る人は多いです。
また、神として扱われるツルシの木には、常に神に行うように布がかけられています。ツルシの葉を頂くときにも、必ず自分自身の身を清めて、お祈りをしてから数枚の葉を頂いてお茶にしたりします。
スーリヤ・ヴァンダナを行う人も多い。
朝、太陽が出る時間に水を捧げて、ひれ伏す人は、ガンジス川などでは多く見られますが、自宅のバルコニーなどで行う人も多いです。
もちろん、動物の中にも神は宿るので、牛やコブラなどは特に神聖な神として扱われます。
7・ ダッシャ(Dasya)
自分自身を完全に神のしもべとして捧げて、奉仕をすることをダッシャと呼びます。
ダッシャの例えとして分かりやすいのが、ラーマーヤナでラーマに使えるハヌマーンです。
ハヌマーンはラーマのためなら、見返りを求めずに、どんなことでも行います。完全に自分自身を神に捧げているので、奴隷のように従いますが、奴隷との違いは、自ら喜んで神への奉仕に尽くすことです。
例えば、B.K.S.アイアンガー先生は、生涯ヨガだけのために人生を捧げた人として知られます。
8・ サークヤ(Sakhya)
神と友人のように友情を抱くことをサークヤと呼びます。
バガヴァッド・ギーターの中でアルジュナは、とてもカジュアルにクリシュナに話しかけます。しかし、大きな尊敬を持った状態での友情であり、クリシュナもそれを受け入れて、世界の秘密を全てアルジュナに打ち明けます。
9・ アートマナヴェーダナ(Atmanivedana)
自分自身の精神が完全に神と言った状態をアートマナヴェーダナと呼びます。
これは、他の8つとは違うレベルの、最も深いバクティの状態です。
アートマナヴェーダナの状態になると、自分自身の思考や欲望、自我意識は全くありません。
全てのバクティ・ヨガはエゴを消滅させる
ここまで出てきた9種類のバクティ・ヨガは、お互いに密接に関係しあっています。
全てに当てはまるバクティ・ヨガの定義は、エゴを消し去るための行いであるということです。
バクティ・ヨガでは、自分が行った行為に執着しない、見返りを求めないことが最も大切です。
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